日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

since apr.01,2005

 
<!>ここでは過去の日付に新しい記事が追加されることが少なからず、というかかなり頻繁にあるので、暇な人は「新着」に騙されないように掘り返してみてね。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--)| スポンサー広告| トラ(-) | コメ(-)
◆High & Low/サンタラ

High & Low/サンタラ
(フレイヴァー・オブ・サウンド、2003/05/28)★音楽(アルバム)

気を許してはいけない。気を許したら、何が起こるかわからないぞ。

そもそも、初めて見たとき、のぞき穴を作ってしまったのが間違いだった。僕は、心を閉ざして生きている。ロブも言っているように、音楽は有害だ。青少年だけでなく、誰しもにとって。身を滅ぼしたくなければ、音楽に入れ込まないことだ。でも別に僕だってまじまじと見入ったわけではないのだ。ただ、耳を貸した。覗き見した。そしたら、するすると入ってくるやつがいた。言葉だった。

未知との遭遇、なんてしょっちゅうあることじゃないし、どんな感触なのかもうこの手は憶えていないけれど、きっとこんな感触だったのだろう。なんというか、既知のものにすがって生きている者を、根底からぐらぐらと揺さぶる、強大な力を持つ、小さな小さな物体。今まで知らなかった言葉じゃあない。それが違う意味を持って…いや、そうではない。そもそも僕にとって、言葉とは意味ではない。言葉とは音だ。しかしこの遭遇は、音ですらない。理解なんて言葉、片手でつかんで、不適に笑って投げ捨ててしまうような奴らだ。

侵入者は言葉だ。でも、それを運んできたのは、メロディーであり、声である。これらに関しては、明白だ。隠し立てするようなところは、何もない。鼻に掛かってて、心のフィルターに掛からない、身のこなしの軽い声。しかしものすごい質量とエネルギーを持っている。科学系の単語が出てくるのは、『空想科学読本』シリーズ(柳田理科雄著、宝島社 他)の影響だ。何だかわからないけど声の存在はよくわかっている。あとメロディー。明らかに体に悪そうなギターの音色の上で、ものすごく体に悪いブルージーなフォーキーなのと、かすかにキッチュを匂わせるポップなのが混ざってる。混ざりきらずに2層に分離しているところすらある。ちゃんぽんしたら悪酔いするのは必至だ。空いている落とし穴に落ちるようなものではないか。こんなわかりきってる声とメロディーなのに、防ぐことはできなかった。なぜなら先に書いたとおり、言葉だったからだ。

この有害な言葉は、頭の中で何度でも再燃するだけでなく、メロディーと手を組むことによって、物理的に音として口から出るという困った症状まで持っている。もはや病気と言っていいだろう。「メロディーと言葉の融合」は僕にとってテーマに違いないが、それが完璧にくっつく必要がないことを、彼らが証明している。それどころか、「キャッチー」という、さらに根本的なテーマまで、子供のおもちゃにされてしまった気分である。考えてみたら、考えてわかる程度のものなんて、考えたって無駄だな、とも思う。

誰もが同じ考えを持つとは限らない。特に、こう見えてもアクの強いこんな作品に関しては。そうなると、どれくらいの人が同じ症状を持つのか知りたいし、他にどんな壊滅のしかたがあるのか興味を引かれる。ぜひとも多くの被害者を見てみたいものである。

2003/10/25(土)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。