日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

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<!>ここでは過去の日付に新しい記事が追加されることが少なからず、というかかなり頻繁にあるので、暇な人は「新着」に騙されないように掘り返してみてね。
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やさしさ

単に「やさしさ」と言っても、色々あるらしい。感覚的なものだから、価値観も微妙に変化するものだから、当然かもしれない。昔、大平健著『やさしさの精神病理』(岩波新書、1995)を読んで、色々考えさせられたものだが、もう忘れてしまった。ただショックだったのは、その本、大学生の私が、脳の理解力の限界に挑戦させられているかのような気持ちで読んだのに、友人の高校面接試験対策に薦められていたということである。

私が昔住んでいたマンション。エレベーターがある。住人の一人が帰ってきて、「」のボタンを押す。エレベーターが下りてきて、その住人が乗ろうとすると、そこに、同じマンションにすむわたし(二人は知り合いにあらず)が少し遅れて向かってくる。ここで、エレベーターの「」ボタンを押して待っていてくれるのは、やさしい人のすることである。ところが、(一部の)若い人は、エレベーターという狭い密室に知らない二人がわずかな時間でも一緒にいなければならないのがいやだと思う。相手もそう思う。そのことを知っているから、住人はさっさとドアを閉める、遅れてきたわたしは空っぽの郵便受けを開けて、鬱陶しいチラシの類を取り出すのに手間取るふりをする。

不思議な光景だ。わたしは、先にエレベーターに乗った住人が、わたしを待たずにドアを閉めて行ってしまったことに後ろめたさを感じないように、気を遣って演技をする。ちなみに、先に5階までのぼった住人は、既に1階でわたしがエレベーターを待っていることを知っている(「」のランプが点灯する)ので、エレベーターから出る時に「」ボタンを押して、少しでもわたしがエレベーターを待つ時間を短くしようする。この行動は、わたしからは見えないので、知る由も無い。だったら、1階で待っていてやれよな。

私はそんなマンションの住人だった。
[2000年1月14日/2002年9月3日]

2002/09/03(火)| みぶンるい| トラ(0) | コメ(0)
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