日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

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日本語を母語とする人が英語を習うにあたって気にするべきなのって、LとRの区別とかなんかよりもまず、母音と子音の問題なのではと思っていた。

日本語において母音と子音の関係は不思議だ。本則では、「日本語は全ての音が(子音)+母音で成り立っている」となっている(…か?)が、実際には、「おつかれさまです!」を「ots・ka・re・sa・ma・des!」と発音する方が多い。母音はわりとよく省かれている。ところが、横文字を「カタカナ語」として理解しようとすると、途端に「本来存在しないはずの母音」が多数発生する。

例えば「Strength」が一音節だなんて日本人には到底理解しがたいところだ。フランク・スタローン『Peace In Our Life』の“The strength of our nation belongs to us all”なんて、カタカナで言うと「ザストレンクスオブアワーネイションビロングズトゥーアスオール」なのに「ダツィーソーヴァーネーショービーローツーアーソー」てな感じで11個の音符に収まってしまうわけで。

奥田民生が『愛のために』で「ワールドォ オブ ワールドォ」と歌っているのは、全然変じゃない。それは英語ではなくカタカナ語だから。スピッツというか草野氏も長らく歌詞に英語を使わないで“アイニージュー”とか書いてたりしたが、英語とカタカナ語をしっかり区別することはとても大事だと思う。

そんな中、Mr.Childrenの『innocent world』を聴くたび、「innocenトゥ world~」と歌っているのが毎度気になってしょうがなかった。その母音はどこから来たのかと。が、タイトルは「innocent world」でも当該部分の歌詞は“イノセントワールド”とカタカナで表記されてるのな。どうもどっちつかずの発音に聞こえて微妙に思えていたが、どうやらそこはカタカナ語のつもりのようだ。『Cross Road』では、英語部分は基本英語表記&英語的発音準拠の中、「たたーずーむーマーテリアルワールド」のとこだけが完全なカタカナ発音で、歌詞もちゃんとそこだけがカタカナ表記になっていた。やっぱり一応使い分けてはいるのか。

ところが宇多田ヒカルは『Automatic』で“君とParadiseにいるみたい”を「きみとParadiスゥにいるみーたい~」と歌っている。『First Love』に至っては“悲しい Love Song”が「かなしいラブゥ~ソング」と、パーペキにカタカナ発音になっている。途中に出てくる英語フレーズ部分はパーペキな英語発音なのに、なぜそこだけ!?

西野カナも然り。『I』の“feel restless.”部分だけ「フィeel resトゥーleエーss」と歌ってたり、“devil”“angel”が部分的に「deviル」「angeル」になってたり。じゃあ、英語バージョンの『I Don't Wanna Know』はどうなってるんだ?と聴いてみると、当該部分はまるっきり違う歌詞で歌われているので比較できなかった。どうやら、英語が達者な人ほど、英語とカタカナ語の区別や、不思議な母音の発生に無頓着のようだ。

逆に、必要な母音が消滅する例も。ザ・シロップ『リズム アンド ブルースをうたうように』では、「リz エン blueスをうたうよに~」になってる。「z」と「th」の発音の違いは置いといて、「rhythm」はスペリングに母音っぽい文字がひとつもないけど、2音節だろ?…と指摘しようと思ったら「rhythm」は1音節だった。ということは母音は消滅してなかった。で、でも、「rhythm」を2音節で歌ってる英語の曲の例も確かにあった気がする~けど思い出せない~。で、これは「rhythm」の最後の「m」の音が聞こえないから変に思えるだけで、やっぱりこれも、「Blues」の後に母音が発生しこそすれ、消滅はしてない。他の例と同じだった。

さて、ではなぜ「m」の音が聞こえなくなってしまったか?それは、気だるい歌い方のせいではなく、「リz メン blueスをうたうよに~」と歌っていないからだ。こんなふうに、前の単語の最後の子音が次の単語の頭の母音にくっつくというのも日本語の感覚だと理解が難しい(実際には日本語においてもわりと頻繁に起きているのだが)。自転車では「マイヨ・アルカンシエル」と書かれるのに、ヴィジュアル系ではないバンドはなぜ「ラルカンシエル」にならないのか。「カム・オン!」より、「カモン!」と言った方が普通に感じるでしょ。

母音が神出鬼没なのは、「ん」という不思議な存在も原因のひとつかもしれない。日本語の「ん」は立派に一音節と認められており、日本語の歌ではひとつの音符を占有することが許されている。が、発音記号では「N」と書かれ、子音扱い。「っ」(小さい「つ」)の「Q」と並んで日本語の変な音のひとつだ。だって「ん」の発音は、次に来る音が何かによって「n」にも「m」にも「ng」にも変化する。そして、それ故に一音節と認められず子音扱いされて音符を与えられない例も同じくらい多くある。実に半端な存在なのだ。

時に、Superfly『Sunshine Sunshine』で“Sunshine Sunshine”を「サーンシャーイサーンシャーイ」と歌ってるのを聴くと、締まりがないなぁと感じる。英語の「n」を日本語の「ん」として歌ってるせいなのだが。「ん」は、しまりがないからこそ音符を占有できるのである。JUDY AND MARY『Radio』の途中、“Oh yeah, Can you, Can you hear me?”のところとかも「きゃんゆー」になってて、締りがない感がハンパない。「きゃにゆー」の方がそれっぽい。むしろ「けにゆー」と発音してみるとネイティブっぽく聞こえるぞ。

英語だとどうだろう。「everything」は3音節だけど、セリーヌ・ディオン『To Love You More』の最後で“Everything you need”が「Ev・e・ry・thing you need」と4音節(スラーを含めるとEverythingだけで5音符)で歌われている。別に母音の発生がありえないことではないようだ。そもそも有声子音は雰囲気からして簡単に母音を生み出しそうだし。そういえばQueen『'39』の“ne'er looked back, never feared, never cried”がなんとなく印象的だった。省くも省かないも自由だろ、みたいな。

え、結論?ねーよそんな国。

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▼この記事|| 2011/12/25(日)| 日本語| トラ(0) | コメ(0)
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