日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

since apr.01,2005

 
<!>ここでは過去の日付に新しい記事が追加されることが少なからず、というかかなり頻繁にあるので、暇な人は「新着」に騙されないように掘り返してみてね。
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注:この記事は何も目新しい事項を含みません。全ては、@-rchery.comにある「ネジサイズのこと」を見ればわかることです。

でも敢えて書くのはネタがないからです。最近、私より後にアーチェリーを始めた人(後輩のようなもの)に、主にセンタースタビライザーの、インチネジとミリネジを間違ってねじ込んでしまう事件が頻発してる。それどころか、そのまま気付かないでいることもしばしば。なぜか。

注意力が足りない!とか言ってしまったらそれまでだが、これは誰にも教えられなかったら間違っても仕方ないと思う。

ミリネジインチネジ
採用してるメーカーヤマハヤマハ以外?
ネジ径8mm5/16in=7.9375mm
ピッチ1mm24/in=1.0583mm
注)1インチ=25.4ミリで計算。現実とズレがある可能性があります。

慣れてしまえば、ぱっと見てだいだいどっちかわかるのだけど(本当かよ!?プランジャーならともかく)、直径の差は0.0625mm。ピッチの差は、1回転で0.0583mm。4~6回転くらいでようやくピッチ差が許容範囲を超えて、「回りが固くなる」という症状として表れる。知らない人だったら、ちょっとゴミがつまったりして動きが渋いだけだと思ってしまっても仕方がない。

何でこんなことになっちゃったの的な話は、色々難しい事情があると思うので置いといて、こんなところにクラフトマンシップが生きてるんだなーという某友人の言葉(実際に発された言葉とは大幅に違うが)を書いて閉じておきます。0.05mmは彼らの手中にある。
[2005年12月12日]

http://www.a-rchery.com/stabi11.htm

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▼この記事|| 2005/11/28(月)| 洋弓| トラ(0) | コメ(0)

街で見かけたならともかく、電話帳とか、文字情報しかない媒体で「スタジオ」という言葉を見つけると、それが何なのかを理解するのが非常に困難に思える。

名称で「スタジオ」と謳っている可能性があるものは、「音楽(練習/レコーディング)スタジオ」「美容室」「写真屋さん」「展示スペース」「工房」など、今思いつくだけでも色々ある。テレビ局なんかにあるのもスタジオだし。

で、今まで考えもせず、調べもしていなかったので、英辞郎on the Webで「studio」を引いてみたら、「仕事場{しごとば}」という項目があるではないか。そりゃあ多岐にわたるわけだ。「カッコいいから」という理由で、この言葉を単独で名称に使用している人、何も知らない人が見てもわかるように工夫してくれるとうれしいな。「わかるヤツにだけわかりゃあいいんだよ」と思っているのならそれはそれで賛成ですが。

ところで、このように比較的古くから日本で使われている外来語は、発音をそのままカタカナで表記したもの(英語の「studio」をカタカナで表記するなら、「ステューディオ」てな感じになると思うが)とは異なるかたちで広まっている語が多いが、「スタジオ」は何か不思議。「dio」→「ヂオ」「ジオ」はわかるとして、「stu」が「スタ」になるのが何となく違和感。古くから日本語に入ってきている英語は、最初に入ってきたのが英語じゃねえとか原因は色々あるだろうが、往々にして、スペリングをそのまま読んだものに近いかたちでカタカナ化されてるように思っていた。その例に従うと、「スツヂオ」から始まって、現代は「ストゥジオ」か「ストゥディオ」(言いにくい)になっててもおかしくないんじゃないか?

「ジーゼル」→「ディーゼル」とか「ゼネレーション」→「ジェネレーション」とか、小さいカタカナの台頭はもとより、カタカナ語は「ローマ字読みしたもの」から「音をカタカナ表記したもの」に徐々に変化していってますね。「ガラス」と「グラス」、「コップ」と「カップ」のように二重人格化しているものはともかく、例えば「Mustang」が、「ムスタング」から「マスタング」に途中から変わったように(…よね?)。「チーム」「コーヒー」など、しぶとい語もありますが。お、それを考えると「ステッキ」とか「ケーキ」って不思議な存在だ。

…そこまで話を拡張すると手に負えなくなってしまうのは最初からわかってるんだけど。まとめ上手にはなれない。
[2005年11月11日/11月28日]

▼この記事|| 2005/11/11(金)| 日本語| トラ(0) | コメ(0)

昨日、気の早いインドアの試合に出た。昨年の二の舞を期待して、ローランという練習用の弓に、装備だけちゃんとした競技用という、実にバランスの悪い弓で。ただ違ったのは、昨年は事前にかなりの(私的に。一般的に言ったら全然大した量ではない)練習をしたのに、今年は、前日にぱぱっと調整してサイト取って出場、というまるで期末試験かのような対応だった、ということ。

これが、ダメだった。まあ結果を残したいのならこれがダメなのはを見るより明らかなのだけど、とにかく結果だけ考えたらそういうことだった。けど、それだけじゃなかった。ものすごーく、意味のある試合だった。

途中まで全くグルーピングしなくて、焦ってセッティングをあれこれいぢった。実はこれには前触れがあって、前日の練習で、途中から明らかに外れだした(気がした)のだった。けど原因を発見できないまま日が暮れてしまって、そのまま試合に来た。やっぱり外れるのだけど、あれこれいぢってもやっぱり外れる矢を見て、却って今度はクールに、原因を探り始めた。

で、まあ私が未熟者であるが故に、原因をやっと見つけたのは試合も半ば終わる頃で、しかも発見できたのは単なる偶然なのだけど、その意味では「意味のある試合」とか満足気に言ってる場合じゃねえんだけど、けど、自分の中である確信を見出せたことが、何より私に満足感を与えたのだ。1フレーズで書き切ってみた。

「ここまで外れるのは、技術のせいであるはずがない。」

こんな調子乗っってんじゃねーよ的な確信を、私は持った。おかしいくらいグルーピングしないと言っても、的を外すほど外れるわけではない。誰が見てもおかしい外れ方ではない。でも、私の体は、私の体が未熟さから導いてしまうミスと、矢の外れ方が連動していないことに気付いた。それで、矢飛びがたまに変である(毎回変だったら、それはそれで構わない。毎回同じように変ならば、結局当たるもん。ミスは拾いやすいけど)ことに気付いた。

もう、何というか、満足感。自分の技術において許容されるグルーピングが7点だとすれば、今回弓具に問題があるために出来上がったグルーピングは5点(数字は「例え」です)。しかも練習と試合という、環境差。極端に違うわけではない差を「道具のせい」と確信できたということは、自分の現状をそれだけ正確に(客観的に?)把握できているということだ。技術的にも精神的にも何的にもまだまだ全然ダメダメだけど、でも少なくとも一歩進んだ気がしたので満足。道は長いが。

世の中、高い道具で却って外してる人は多々いると聞くが、本当にそうなんだろうなぁ。道具のせいにして技術の問題を発見できないのはもちろん問題外なのだが、日本人的な自信の持てなさ故に技術のせいにして道具の問題を発見できないのも問題外だろう。せめて問題内にいたいと思う。

ところで、今回の試合で弓具のどこがどういうふうに問題だったのかはこの記事で書きたいこととは何の関係もないので触れないでおくが、普通の人(もう少し冷静で知識とか洞察力とかがある人)なら、前日にちょっと射っただけでもそのくらい気付くだろうに。私はダメダメである。

▼この記事|| 2005/11/07(月)| 洋弓| トラ(0) | コメ(0)
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