日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

since apr.01,2005

 
<!>ここでは過去の日付に新しい記事が追加されることが少なからず、というかかなり頻繁にあるので、暇な人は「新着」に騙されないように掘り返してみてね。
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セピア/堂島孝平
(作詞・作曲:堂島孝平)

~すごい昔の記事のリバイズ~

言葉は生き物である。推名林檎の『ギブス』のジャケには、“GIPS”と表記してある。なぜ「P」で「ブ」なんだ?疑問に思ったわたくしの調べ(音楽ではない)によると、“GIPS”はドイツ語であった。なるほど医学はドイツ語だ。患者のカルテ(Karte)も然り。で、「ギプス」が訛って「ギブス」になったんだと。同じく椎名林檎の『罪と罰』は、某作家の某作品を意識して、盤面はロシア語表記になっている。ちなみに読んだことないです。よく見ると、「SHÉNA RINGÕ」の「N」が「И」になっている。これは英語で言えば「i」、日本語では「イ」?にあたる文字だ。ちなみに「у」が「u」で「р」が「r」で「с」が「s」だっけ。わざとにしか思えない。

というわけで、堂鳥孝平の『セピア』を聴いていて、どうもひっかかるな、と思った。“みゃくりゃく”という単語は聞いた事がない。まさか「みゃくらく」の誤りじゃなかろうて。そこで歌詞カードを見ると、「脈略」。うおおおお「脈絡」の読み違いではなかった。だが、天下の広辞苑第五版(岩波書店)に、そんな単語はない。

「脈絡」には、物事のすじみちというかつながりというかそんな意味がある。まさに私に欠けているものである。「絡」は、「連絡」というように、「つながり」の意味がある。なんだ、「脈」も「絡」も要するに「すじみち」じゃん。対して、「略」には、知恵というような意味と、はぶくことの意味などがあるそうだ。ということは、“脈略”とは、1.「筋の通った考え」、または脈を省くことから、2.「すじみちのないこと」といった意味の言葉であると推測できる。では、歌詞にある“脈略ないこと”とは、筋道立てて考えもしていない事、要するに“他愛もないこと”なのか、筋道のなくないこと、つまり“筋の通ったこと”なのか。この場合、コンテントからして前者であろう。つーかもう少し踏み込んで考えると、「脈略ない」は「脈」を二重否定しているのではなく、否定を強調しているのであり、「すごくどうでもいいこと」の意である、とする方がいいか。

これは革新的だ。面倒なので例を挙げることはしないが、言葉は提唱されてから普及するまでにかなりのタイムラグを取る。今“脈略”を唱えることで、彼が先端に立ち時代を切り拓いていくのだ。言葉は生き物である。
[2000年2月23日/2003年8月21日]

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▼この記事|| 2003/08/21(木)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

ロンサム・パレード/堂島孝平
作詞・作曲/堂島孝平

~すごい昔の記事のリバイズ~

花の高校生活。通学時間1時間20分(推定)。中学までの数十倍の距離。その約3分の1は、音楽がうめてくれる。まさに、人生を音楽へと導いて'く通学路だった。ちなみにここまでは余談である。当時私は、うれ(憂)しいことに、堂○光○に似てるー!と、ちょっと評判だった(髪型変えた途端に言われなくなったが)。

ある日、私としてはめずらしいことに、夜遅くにテレビを見ていた。そこで色んな、これから有名になるぞ~的なアーチストの新譜の15秒CMを連発するやつに出くわした。15秒じゃあ分かるわけないじゃん、と細い目で見ていた、そのとき、ひとりの、マッシュルーム男の声にピンときてしまったのだ。その15秒足らずの間に、脳みその中ですごい化学反応がおきたのではないか。慌てて名前を書き留めようにも、書くものがなかったので(取りにいくのが面倒だったらしい)、とりあえず覚えよう。ドウジマコウヘイ…堂○光○に似てるな。…どこがやねん。と、見事覚えることに成功(?)した(後日思い出すときに、堂○光○じゃなくって、ドウ…なんだっけ、コウ…なんだっけ、としばらく考える羽目になった)。

数日後、田舎住まいの私は、大好きな友達、とまちゃん(onギター、男)とともに、たまたまシティーまで出かける機会があって、タワレコに足をはこんだ。何かCheck it outなのがあったような…ということで、上記の要領で思いだし、いざ探してみると…なんだかすっごく黄色いアルバムが、ばばーんと面列されているではないか。しかも「特典あり!」と紫色に訴えかけている。特殊ジャケと特典に弱い私(バカ?)は、買ってしまうのである。その、すっごく黄色いケースに入ったCDが1周する頃には、私の中に、“マイ・フェイバリット、ドウジマコウヘイ”と、確固たる地位が築き上げられていることだろうとは夢にしか思わずに。

私が最初に聴いた堂島節が、この「ロンサム・パレード」のサビの約15秒でした。それからしばらくの間、某コンビニのCMで何度も耳にすることになる。CDラックに堂島孝平の過去作が揃うのには、さほど時間はかからなかった。しかも、田舎者の特権キラリ。すべて初回限定仕様。
[1999年12月31日/2003年8月21日]

注:当時のタワレコの「特典あり!」ステッカーは、紫地に白文字だった。

▼この記事|| 2003/08/21(木)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

月影/斉藤和義
(作詞・作曲:斉藤和義)

♪ミミミドファミレドレレレシミ~

すごくキャッチーだ。このデダシ、どこかで聴いたことがあるような??と思うと、このメロディ、某バンドの出世シングル曲をはじめ、実に色んな曲に使われている。ここまでくると、パクリとか真似のレベルではなく、スタンダードか古典か、といったところだろう。ということは、私がこのメロディーをフィーチャーした曲を作っても、問題なしということだ。じゃあ作ってみようかな。

私は音楽を聴くとき、“歌詞を聴く”人ではないし、この人の歌詞が好きなわけでもない。でも、このフレーズだけはすごくツボだった。

十年前にもしもちょっと行けるのなら 何をしようかな

決まっとらんのかぁ~っ!と、思わずつっこんでしまう。毎回。だって、「もしもちょっと行けるのなら」ときたら、何か過去に残された強い思いにとらわれていて、それでそんなたわ言を言い出したと思うじゃないか普通。で当然気持ち悪い言葉が来ると思って一瞬体を硬直させた途端、スコンと気持ちいい言葉で裏切られる。意図してやってるんだったらこんなむかつくことはない

▼この記事|| 2003/08/20(水)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

東京/暮部拓哉
(作詞・作曲:暮部拓哉)

タイトルだけ見たら、誰の曲かわからない。すごくありふれたタイトルだ。内容はというと、大きな夢を抱えて上京してきたフォーキーな奴の歌。すんごくありふれた内容だ。彼の存在そのものが、訴えるものを持っているとは到底思えない。けど、彼がこの歌を歌ったとき、じわっと涙が溢れるのを止められなかった。涙を見られるのはさすがに恥ずかしいから、ごまかすのに必死だった。なぜだ。歌詞に感動したわけではない。だって歌詞なんて聴いてない。でも、何なのかわからない力で、私を動かしたことだけは事実である。たぶん、広い宇宙の中で、たまたま地球に生命が誕生したように、とか言うとバカみたいなのでやめておくが、これだけは解せない。井の頭線が溢れてたって、「春夏冬」という名の店があったって、そんなの驚くようなことではない。自慢じゃないがそういうのは得意だ。

きっと私の中には、私にとって無意識下で、重要視されない部分があって、でも人は、それが意識下であっても無意識下であっても、重要視しているのだ。だから私にはわからない。わかりたくもない。でも、この涙によって、少なくともその存在だけは認めざるを得なくなってしまった。

暮部拓哉
http://www.kurebetakuya.com/

▼この記事|| 2003/08/19(火)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)
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