日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

since apr.01,2005

 
<!>ここでは過去の日付に新しい記事が追加されることが少なからず、というかかなり頻繁にあるので、暇な人は「新着」に騙されないように掘り返してみてね。
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某会社で単純作業をしているとき、ふと耳に入ってくる誰かの電話でのやり取りで、一番耳につくのが「とんでもございません」だったりする。取引先との電話で「いえいえ、とんでもないです」と言う人は、気付いた中では一人しかいなかった。

で、「これは間違っている、そんな日本語はない」、と、色んな人や本が言っているし、個人的にもなんとなく好きではないのであまり使いたくないのだが、ここまで一般化してしまうと最早誰が何を言っても手遅れだろう。受け入れましょう。


でも、だったら、「せつない」とか「せわしない」、「はしたない」はどうなんだ。なんで「ございません」に置き換えられないのか。というと、これらの「ない」は、強調(「甚だしい」の意)であって、否定ではないのだそうだ。そんなこと初めて知ったけど。

もう大変だよー今週は。ほんと忙しいったらないよー。

っていう感じでしょうか。でも

もう大変よぉー今週は。ほんと忙しいったらありゃしないわ。

はどうなるんでしょうか。


じゃあ「くだらない」「つまらない」は紛れもなく否定だから、丁寧に言ったら「くだりません」「つまりません」になるのか。ならないよなぁ。なぜならないのか。それは、「くだらない」「つまらない」で、それぞれ一つの形容詞として成立している、つまり一単語(word)だからだ。

「おぼつかない(覚束無い)」「なさけない(情け無い)」「はかない(儚い、果敢無い)」なんて、見るからに否定の「ない」だけど、みんなそれで一単語だからね。

他にも「ゆるぎない」とか「たえまない」とか…と思って広辞苑第五版を引いたら、「ゆるぎない」はあったけど「たえまない」という見出しはなかった。広辞苑的観点からすると、前者は一単語で、後者は二単語からなる句(?)らしい。じゃあ「絶え間ございません」は言うか?あまり聞かない(というか、それを使う場面を想定できない)。あれ、そんなこと言ったら、「もうしわけない」も一単語だ。でも「申し訳ございません」を「間違った日本語だ!」と言明しているのは聞いたことがないなあ。

そもそも一単語かどうかはどうやって決まるのだろうか。「たわい無い」「問題ない」「違いない」とか。別に明確な境界はない気がするけど。


まあそれは置いといて、「とんでない」の場合は、「ない」の前の「」の存在が、全体をひとつの形容詞らしからなく(?)見せているような気がする。それが、人をして「ない」を「ございません」に置き換えしめている(?)ような。すると引き合いに出されるのは「みっとない」か。でも「みっともございません」はあんまり聞かないな。落ちぶれた捕手かよ。じゃあ「めっそうない」は?「めっそうもございません」はよく耳にするけど、それを「違ーう!」と主張する声は、「とんでもございません」のそれに比べ、あまり聞きませんが。それこそこの「ない」は上述した強調の方だったりしないのだろうか。だって「滅相な」と「滅相ない」は同じような意味でしょ…。


さて、では「とんでもない」の「ない」は?これは強調だ、と言う人もいる。だって、「とんでもない事件」と「とんだ事件」は同じ意味じゃないか、という理由で。しかしそれだと、なぜ「とんでも」なのかが謎である。

広辞苑第五版の説では、「とんでもない」は「途(と)でもない」の転で、「とんだ」は「飛んだ」の意か、と、別の起源ではないかとしている。実際、「とんでもない」と「とんだ」は、守備範囲がちょっと違う。冒頭の電話のやり取りで、「いえいえ、とんだことでございます。」と言えますか。

だとしたらやはり否定だろうか?


はっきり言ってどっちでもいいんじゃないでしょうか。言いたいことは伝わるわけだし。

現代語に強い岩波国語辞典第六版には、「滅相」の用例に「滅相もございません」が載っているし、「みとうもなし」(=見たくもない)から転じた「みっともない」は、なぜか「みっともございません」とはあまり言わない気がする。すでに、「ない」と「ない」の間には区別がないのと違いますか。「お」と「を」の発音と同じように。


↓三日かかったよ
[2003年7月26日~28日]

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▼この記事|| 2003/07/28(月)| 日本語| トラ(0) | コメ(0)

200円のダーツ 十数kgの重さを引く力もいらない。矢取りの度に何十mも歩かなくていい。ルール次第で、どんなに下手でも(主に的に当たりさえすれば)一応楽しめる。そして、狭い室内でも遊べる。3mの奥行きと2mの天井高があればいいのである。こんなにすばらしい遊びがあっていいものだろうか。色々な敵のせいでレンジに出られない(出たくない)時、退屈な(けど重要、だけどやっぱりつまんない)近射もいいけど、近射的の上にダーツボードを設置すれば、そこはもうダーツ場(?)である。

ちなみに写真は、ダイソーで買った、ダーツボードとダーツのセット。つまり100円。実際には、写真のボード(2サイズあるうちの大きいほう)にはダーツが2本しかついてこないので、200円かかっている。たった200円でこれだけ遊べれば大したものだ。こうしてアーチェリーの上達は妨げられるのである(メンタルトレーニングにはいいという声もあるが)。遊ぶなら遊ぶで、せめてもうちょっとちゃんとやればいいのに…と、ちょっぴりマイダーツ&公式サイズのボードがほしい今日この頃。最近はエレクトロニックダーツが主流?アーチェリーにもエレクトロニックターゲットが出ないかな。矢が当たると、オリンピックラウンドみたいに「Ten!」とか声が出るの。

▼この記事|| 2003/07/13(日)| 洋弓| トラ(0) | コメ(0)

アーチェリーがスポーツであるかどうかは、いまだに疑問である。それは、ボーリングがスポーツかどうかと状況が似ている、日本での歴史を考えると。でもゴルフはスポーツか、と問うて、是と答えるならば、アーチェリーもスポーツでいいだろう。

まず、「風」。弓具の進化(主にカーボン矢だね)により風等の外的要因にはだいぶ強くなりはしたらしいが、それでも風の強い日は的中に影響が出る。しかしそういう問題じゃなくて(いや、そういう問題の延長線上にあるのだが)、某アーチェリーレンジには、「風の強い日は長距離を射ってはダメ」という規定がある。そもそも練習できないということだ。次に、「太陽」。炎天下で走り回っているのと、炎天下にじっと立っているのとでは、どちらがより辛いか。たぶんどちらも辛い。そして、「雨」。サッカーなんかと同じで、雨ざーざーでも試合は敢行される。が、練習はどうか。雨の日でも雨ガッパを着たり気合を帯びたりして練習だ!と思えるほどアーチェリーが好きなら、それはきっと無敵。天候なんて関係ない。では、天候に左右されない室内競技はあるか。秋冬あたりに行われる、インドア競技がある。しかし今度は「寒さ」という、もしかしたら一番の天敵が待っている。寒い中で走り回っているのと、寒い中じっと立っているのとでは、どちらがより辛いか。アーチェリーって辛い。

▼この記事|| 2003/07/12(土)| 洋弓| トラ(0) | コメ(0)

蟻

自然が豊かなアーチェリーレンジには、アリの巣もたくさんある。このアリがなかなか強敵だ。初夏の頃、矢取りに(から)行く(戻る)途中、ふと見ると足元に大規模な巣。せっせと巣を拡げるアリたちや、獲物をわせわせと運ぶアリたちを見ていると、これがもうほんと面白くて。ついつい見入ってしまい、練習は一時中断される。写真は、アリA(右)が、獲物(誰かが食べこぼしたおにぎりの具:鮭)を10mほど離れた巣までせっせと運ぶ途中、突如現れたアリB(左)に横取りされそうになり、必死で取り合っている様子。やがて体格で勝るBがAを振り払い、獲物の横取りに成功するのだが、かわいそうに思った人間が再び獲物をBから奪い、Aに返してやろうと試みる。ところがそうこうしているうちに獲物が二つに割れてしまい、結果として小さいほうをAが、大きいほうをBが持ち帰ることとなった。ピントが地面に合ってますね。

▼この記事|| 2003/07/01(火)| 洋弓| トラ(0) | コメ(0)

ターゲット競技の場合

アーチェリーレンジを作るには、それなりの土地が必要だ。30mも射てればそこはもう立派なレンジではあるが、やはりシングルラウンド90mまでカバー出来てこその専用レンジだ。しかし都会には土地がない。よって隅っこに追いやられる。しかも、危険物を取り扱う場である。的中精度からして、使い方さえ間違わなければ周囲に危険が及ぶことはないと思うが、そんな理屈はアーチャーにしか通用しない。よってさらに隅っこに隔離される。かくしてアーチェリーレンジは、自然が豊かな絶好の立地を手に入れたのであった。

フィールド競技の場合

言うに及ばず。

蚊



▼この記事|| 2003/07/01(火)| 洋弓| トラ(0) | コメ(0)
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