日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

since apr.01,2005

 
<!>ここでは過去の日付に新しい記事が追加されることが少なからず、というかかなり頻繁にあるので、暇な人は「新着」に騙されないように掘り返してみてね。
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もう恋なんてしない/槇原敬之
(作詞・曲:槇原敬之)

ついでに。イントロが好きだ。80年代後半から90年頭くらい(だと思う)風の音が好き、というより、この曲は特別だ。低音から高音、柔らかい音から硬い音までが、人間の耳に一番心地よく響くように計算されて完璧に配置されている。分析したわけではないけど、そうにちがいない。詩はこの人お得意の、口語文調。音韻を意識させない。と思ったが意味で記憶されているわけでもないらしい。「君がいないと何にも/できないわけじゃないと/カバンを火にかけたけど」「ほら 超ショックも作れたもんね/だけどあまり松竹梅」なんかちがう。92年5月25日発売のこの曲に関しては、某関西系バンドの一人が、90年代で一番印象に残った曲に挙げていた。タイトルがね。どっちやねんてな感じでね。そこから連想されるのは「To Be With You」(MR. BIG)、「恋せよ乙女」(WANDS)、ちょっと違うけど「咲き乱れよ乙女たち」(CASCADE)あたりか。

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▼この記事|| 2003/05/31(土)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

見てるだけ/倉橋ヨエコ

この人の音楽は全部好きなのだけど、とりわけマニアックな曲を選んでみました。なんて意地悪。クラムボンが小学校だとしたら、くらよえは女学校。それは古過ぎか。時代も違えば、年齢もちょっと違う。だがどちらも映像系の音楽である。そして気付いてみればどちらもワーナーアーティスツ。気付くの遅すぎ。で、この曲には私が好きになる要素が複数見られる。まず、音域が広い。よほどうまくミックスしないと低い声が聞こえなくなりそうです。それから…あれ、ひとつかも。それにしてもタイトルの付け方が秀逸である。マッキーの「もう恋なんてしない」に並ぶ名曲名である。

▼この記事|| 2003/05/31(土)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

永遠/KAN
(作詞・作曲:KAN)

曲名だけだとフツーすぎて誰の曲かわからない、目立たないアルバム曲。でもベストアルバム『めずらしい人生』のラストを飾る美しい曲。歌詞のある一節がすごく好きで、自分的名曲の迷宮入り、じゃない殿堂入りした。

解釈1
「ぼく」の存在の重さを「ぼく」が持てるのなら、つまり人は自分の重さを自分で持つ限り、飛行機の最大積載重量を気にしなくていいのだ。交互にジャンプしていれば定員の2倍の人数が乗れるぞとか、そういう出来の悪い冗談を言っている場合ではない。すばらしい。応用すれば、空中二段ジャンプとか、果てはそのまま空を飛んだりとかもできそうだ。

解釈2
持ちつ持たれつ、それが人間である。でも、自分の存在という「荷物」を自分で持つということは、この基本的なあり方を否定するということだ。それでも「隣に永遠に」いるという。「僕ら延長コードの銅線~ いつまでも どこまでも 隣り合って走ってるけど~ 決して まじわる ことのない 二人~(こんな曲はありません、詞:すしる)みたいな。その上「君」は泣いている(或いは泣いていた)のだ。これを涙せずに聴けるか、否。


たとえば ぼくの存在が君の重荷になるなら その荷物もぼくがもちます」このフレーズがとても印象に残った。どうかしている。

▼この記事|| 2003/05/09(金)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

と言ったのは、「めい」である。姉のさつきは5月(五月/皐月)で、妹のめいも5月(May)である。この記事のタイトル、「フインキ」にしようと思ったけど、その問題について書いている人が矢鱈と多かったのでやめた。「ふんいき」より「ふいんき」の方が、英語的で発音しやすいからだろうかね。ちなみに、岩波国語辞典第六版にも広辞苑第五版にもまだ載ってない。それはいいとして、めいに倣って「うらまやしい~」と、昔からよく口にする私である。が、「ら」「や」「ま」とア行が並ぶので(なんかインドっぽいね)、「うやまらしい(敬らしい?)」「うまやらしい(厩らしい?)」と、巷にはいろんなバリエーションがあるらしい(ちなみにほとんどが故意)。

で、実はそれもまだ前置きで、私は「慌しい(あわただしい)」を「泡立たしい(あわだたしい)」、「憤り(いきどおり)」を「息躍り(いきおどり)」と書くのを提唱したい。というのが言いたかった。どうですか。どちらもなかなか雰囲気が出ていると思いませんか。息躍りはいまいちだけど。じゃあ「意気躍り」か。「意気脅り」でどうだ。駄目か。

が、ここへ来て「泡立たしい」という“間違い”を嘲っている、もとい、笑っている記事を発見してしまった。そうか、そうなのか。そう言われると、これは故意であると宣言することなしに使っていたほうが(世間に笑いをふりまくことができて)よかったなーと思うのだが、もう途中まで書いてしまったので最後まで書くことにしよう。だって「あがく」は「足掻く」が“正解”だけど「もがく」の「藻掻く」は“当て字”だなんてねえ。あれ、「藻掻く」の考案者って誰だっけ。どっかの本で見た気がしたけど、返って調べようにも一番疑わしいと思われる本が行方不明。

▼この記事|| 2003/05/07(水)| 日本語| トラ(0) | コメ(0)
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