日本語をこねくり回す。映画や音楽にケチをつける。変なものを変だと言う。変じゃないものにも変なこと言う。カテゴライズするのは結構だが、複数のかけ離れたジャンルを少しずつかじるような人の立場は。

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<!>ここでは過去の日付に新しい記事が追加されることが少なからず、というかかなり頻繁にあるので、暇な人は「新着」に騙されないように掘り返してみてね。
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JP/クラムボン
(ワーナーミュージック・ジャパン、1999/10/06)★音楽(アルバム)

私は重低音強調推進派だ。自作の音源のミックスはたいてい低音が出過ぎている。学習能力がないのも困ったものだ。さて、愛用しているSONYの耳かけヘッドホンが、思わしくない。低音が強すぎる音源だと、たまーに右だけビビってしまうのだ。でもそうなるのは自作音源だけだと思っていた矢先、こいつの気持ちよすぎるベースの音圧にヘッドホン氏がビビったのだ。うわっ。こんなの、堂島孝平『すてきな世界』以来だ(自作音源だけじゃないじゃん)。この、ちょうどよすぎる低音。ふつうここまでやったら悪趣味だと思うぞ。いいんだか悪いんだか分かりませんね。ようするに私が悪趣味だと言いたいんだろこのやろう(実際これは微塵も悪趣味には聞こえないけどね)

悪趣味かつリズム感のないわたくしは、何度聴いても、どんなに注意して聴いても、「いたくない いたくない」の、5/8拍子の混ざったような?歩調についていけません。当然、「パンと蜜をめしあがれ」のイントロのピアノのような、ひたすら3連符が続くのも無理。「ALL MY LOVING」でのジョンのリズムギターなんてもってのほかである。ちなみにビートルズ。

ピアノ?ギター?そう、これほどギターのないポップ音楽って、ないよな。鍵盤があれば(そしてたまにベースをひずませれば)ここまでできるのさ。ギターの、手軽さからくる高い浸透率を考えると、これは希少価値が高いに違いない。マニアの間では高額で取引されているであろう姿が目に浮かぶようだ。

そこへ来て、自身の遠い記憶ともリンクして、目に浮かぶような歌詞だ。発信されているのは、通常は言葉だけであるのに、そこに今なら映像特典がついてくる大変お得な歌詞だ。でも本当にすごいのは、、つまりは音、つまりは波長のはずなのに、物体としてそこにあるかのようなだ。目に浮かぶ。そんなものがあってたまるか。でもここにあるんだからあるんだろう。

。思い返してみると、楽曲は好きだけど自体は好きじゃない音楽人音楽って、けっこうあるものだ。が、逆の場合は?は好きだけど楽曲が伴わないというのは、アマチュアを除けば出会ったためしためしがない(または出会ったことを覚えていたためしがない)。私はこのがどうにも好きでたまらないらしい。毛細血管の隙間まで染み込んできて絡まって固まってそのまま東京湾だ。それが目に浮かぶんだから、地獄絵図だろう。

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▼この記事|| 2002/02/28(木)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

祈り/小林建樹
(作詞・作曲:小林建樹)

1999年、某鉄道会社の主催で行なわれた某農場における某ライヴには、私の好きな音楽が満載だったので、数々の苦難を乗り越えて見に行ったのだ。で、そのオープニングアクトをつとめていたのが彼である。実を言うと、会場入りした時彼はすでに歌い始めていたのだが、聴いてみると、なかなかいい曲をやる。何より、歌う時の表情つうか物腰つうかが何とも言えない。というわけで会場でCDを購入したのだが、帰って聴いてみても、一番いいなーって思った曲が入ってなくて…と、また紆余曲折を経て知った、この曲。王道アレンジで飾られたCDの音よりも、ピアノの弾き語りの方が何倍もいい。弾き語りライヴの音源をCDで発売してくださいよ。
[2001年2月]

紆余曲折の内容:某農場ライブで配布されたチラシの情報をもとに、インストアライブ@某CD店池袋店を見に行こうと試みるが、時間ぎりぎりで家を出たら電車が「~の影響でただ今ン分ほど遅れて運転しております」だそうで、店入りした時彼はすでに歌い始めていたアゲイン。が、そこで書いたアンケートが幸運をつかんで、特別招待ライブ@渋谷エッグサイトに行く機会を得る。そのライブで、どういう曲か、ようやく、そのエピソードとともに、知る。この時は、聴いててが出た。しばらくして、「待望の」リリースが決定して、CDを手に。
[2002年2月]

リリースの前だと思うが、原宿という怖い街にある某店内にいるとき、この「祈り」が流れたのだ。それはもう感動だった。続・が出た。同じ音源でも、この時ほど感動させられたことはない。後にも先にも。
[2002年2月25日]

▼この記事|| 2002/02/25(月)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

スペース ブルジョワ シアター/エレキブラン
(ビクターエンタテインメント)★音楽(アルバム)

某レコード店でこれのたたずまいを見たときは、……どうかと思った。というより、オビ(タスキ?)が、ひとりでそういう色を放っていた。メジャー2作目のはずなのに、洗練されてない雰囲気をいっぱいに浮かべてんだ。だが中身は、違う。ヴィジュアルも、オビを外した途端味が出る(赤い象から)。そして中身は、違う。まず、1曲目の「試験放送」からして、違う。ミスチル『ボレロ』やマッキー『君は僕の~』に見られるように、最初の短いトラックはアルバムをまとめあげる効果を持つものであり、たいていそれ以上のものではあり得ないと勝手に思っていたが、この『スペース~』においては、…やっぱ同じかなあ。で、でも存在感がまるで違うね。いわゆる“コンセプト・アルバム”のようだが、10作中9作は退屈なものになり悪いことに作った本人がそのことに気付かない(と私が勝手に思っている)コンセプト・アルバムの型にあって、これだけ飽きないのは珍しい。シングル「スペースマンの~」、単品で聴くと殺傷力に欠ける気はするが、全曲手抜き無しで、10分近い「S.B.T. ~」も含め、退屈しないもん。こんな芸当、なかなか出来るものじゃないと思うが。ちなみに、随所にQUEENを思わせる匂いが漂っている気がするこの音盤である。影響を受けているとかじゃなくて、"特定の曲のパロディ"というような感じで出てくるのさ。

ロゴマークばっかり作ってないで(ブックレットを見よ)、誰か彼らとQUEENとの間にある関連性の謎を解き明かしてください。
[2000年1月24日/2002年2月19日 改訂]

▼この記事|| 2002/02/19(火)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

東京/サニーデイ・サービス
(ミディ、1996/02/21)★音楽(アルバム)

彼らはこの2作目のアルバムで一躍有名になったということにしているがどうでしょう。彼ら及びそのファンの方々には悪いが、『MUGEN』が発売された時点において、後にも先にも、この『東京』を超える作品はない(結局、解散するまでなかった)。唯一、デビューアルバムの前に出たらしい『星空のドライヴEP』(田舎にどーんと構える、インディーズだけでごく小さなCD屋さんの在庫量に匹敵しそうな枚数を誇る、だけどメジャーCDの品揃えはイマイチの、書籍とゲームも扱っている、謎の店(いつの間にか改装して、ふつうのつまらない店になってしまっている)で発見した)が、ばちばちっと光を放っているかな。シングル「恋におちたら」が、名曲中の名曲だ。群を抜いている。と言いたいが群は抜いていない。他の曲がカスじゃない。私は個人的に、マルチ天才曽我部氏における、ギターのリフを編み出す才能を信じていないが、「東京」の、なんじゃこりゃ?と言いかけてすぐに言ってしまったピアノは、ご愛嬌であるが、サウンドどうこう、レコーディングどうこうは分からないが、相当凝っているらしい(そんなこといつどこで誰に聞いたんだろう?記憶にない)。「あじさい」が、個人的お気に入り。個々の楽曲が際立つ感じで、比較的頭でっかち尻すぼみではあるが、この、なんのひねりもないアルバムタイトルにおいて、これだけの成功を収めることは最早不可能だ。私がサニーデイに出会った当初(無料配布していたコンピレーションテープを聴いたのが最初)は、声が嫌いで嫌いでたまらなかった。なのに、デビューアルバムの1曲目「いつもだれかに」1曲だけの力で、のめりこんでしまった。そこにこのアルバムが来たのだから、もう手の施しようがなかったのもわかるでしょう。かわいそうに。
[2000年1月24日/2002年2月19日 改訂]

▼この記事|| 2002/02/19(火)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)

誰でも必須の行動としてやってると思うんだけど。すのとをつくのは似ている。どちらも事実を述べることと対立する立場にあるからだ。それはそうと、隠す必要はなくとも言う必要がないから言わない情報の何と多いことか。久々に会った友人に「やっとFが押さえれるようになったよ!」の喜びを伝えるために、先ず基礎知識として、「フォークギターを習い始めた人が最初にぶつかる壁はFメジャーコードの押さえ方である」ことを知ってもらい、次に自分が実は何年も前にギターを始めて、既にミスチルの「花 ―略―」が弾ける程度にはなっているんだけど、“ジョンに憧れて”最近レフティのギターを練習し始めたことを言う―、その前に、ポールがレフティのベーシストであり、故にレフティのギターを持っていて、だからよく一緒にいたジョンは、本来は普通の右用のギター弾きなのにレフティギターを弾くのがちょっとうまいんだよ、という豆知識を教えなければならない。だったら6本の弦が低音から順にファドファラドファと鳴ったその喜びも、話す相手を選んだほうがよい。

時に、僕ね、高校時代仲がよかった友達とまた最近よく遊ぶようになって、その友達の友達と、この前仲良くなったんだけど、実はそいつが、…僕の昔の帰宅部仲間の友達で、その、最近またよく会う友達と仲良かったやつがいるんだけど、そいつとも仲良くて、この前一緒に旅に行ったらしいんだけど、旅先で偶然知り合いに会ったらしくて、どうも話を聞いてると、その知り合いと一緒にいたやつが実は僕の知ってる人で、かくかくしかじか。

別に名前を伏せる義理もないのである。話が進むにつれて、「え、その友達って、どの友達?」となって、結局名前に置き換わる、よくある話だ。これだと、名前に置き換わるまでは、「昔一緒に自転車で旅した友達」と、「こないだ駅前で飲んだ友達」が同一人物かどうか分からない、という副作用がある。別にそれが分かる必要もないのである。でも、初めから名前で話す人もいる。だから、直接は面識ないのにその人の周りの人間の名前人物像にはやたら詳しくなる。

で、最初は/結局は、何が言いたかったのだろうか。
[2002年2月17日]

思い出した。何となく、世の中、「小学校で習ったかのごとく、とりあえず個人名を言わずに話す人(≒必要な部分を断片的に話す人)」と「全部名前で話す人(≒ジャンル・相手を選ばず何でも話す人)」、どっちかにぱきっと分かれる気がするのだ。だからどっちがどうとかっていう話もないのだが。ずいぶん話が狭まったものである。

選挙運動を横目で見ていました。年齢的には選挙に関係あるわたくしですが。で、思った事なのだが、数人に話したところ、誰一人同意してくれないどころか、背筋が寒くなるほど冷たい反応を多数頂きまして、それでも懲りずにもう一度だけここにアウトプットします。

選挙の時期になると、普通の生活リズムを保っていない人間には迷惑この上ない広報カーみたいのが町を徘徊します。が、それは何か代用策を考えない限り、外せない活動なので、仕方ないでしょう。で、もう一つは、駅の階段の下なんかで待ち伏せしていて、ボランティアの方々とともに、タスキをかけた候補者が、「よろしくお願いします!」と、声を張り上げている。これも、がんばるなぁ、程度に思ってわたくしは通り過ぎます。

で、長かったけどここまでは前置きなわけです。選挙も近いある日、夕方(夜?)のラッシュの頃に自宅の最寄駅(徒歩12分)に帰り着くと、いるんですよ、タスキ候補者とボランティアの後援会の方々が。でも、見ていると、「○○市の皆様、お仕事、お疲れ様です!!」的なことを繰り返すばかりで、別に「最後のお願いに参りました!」「よろしくお願いします!」系のことは一切、口にしない。それを見てわたくしは、

:「お父さん肩揉んであげるー。」
:(ニコニコしながら)「ん、どうしたんだ今日は。ははー、さては何か買って欲しい物でもあるんだろ。」

的なものを連想しましたとさ。おしまい。

さて、いざ選挙が終わってしまうと、駅前がいっときさびしく見えたりしました。路上アコギ演奏家たちは復活したけど。ここで、選挙後、当落に関わらず候補者が、「ご声援ありがとうございました!」なんて言ってたら、なんと感じのいい人(たち)だろう!と思われるのでは、と、古い考えのわたくしは、カビの生えた頭で思ったりしなかったけど、別に否定はしない。
[2001年7月2日]

尚尚。友人の話では、選挙後のありがとうございました的行動を実際にとっている人がいたそうです。痛そうです。
[2002年2月14日]

知りたい!という衝動は、の中にでもある。ということは、これは至極自然な、本能みたいな欲求である、と今ここで勝手に決めつけてしまおう。好奇心は猫をも殺す存在だ。中央線で御茶ノ水へ行く。大衆週刊誌の中吊り広告は実に楽しい。私は、いつも出鱈目ばかり並べて生きているが、「君は何のために生きているの?」と訊かれたら、「真実を知るため」と答えてやろうと、日々切磋琢磨をしてはいないものの、心の片隅に思いつつ息をしているのだ。でも、「じゃあ真実って何?」と言われてしまうと、分かりません。哲学に長けている人に振ってください。今、記憶を消去したり注入したり改ざんしたり偽造する某映画を思い出した。

じゃあ、「真理」とか、深遠なもの、ではなくて、単純に「ウソとシンジツ」の真実を見よう。このサングラスどう?あ、いいんじゃないの、なんかとってもしい感じね。ある人は、「世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」と繰り返す。私、「君の言いたいことはよく分かる。でも、でもね、私は、知りたい。理由はうまく言えないけど。」そして例が思い浮かばない(逃げた)。

知らぬが仏」という言葉がある。後頭部に激しく燃え盛るのような寝グセがあっても、それが朝のに映らなければ平穏な気持ちでいられる。うっかり褒められて、いやーそれほどでもボリボリ、と、触れてしまったら、とりあえずどこかに隠れたくなる。周囲のが気になってしょうがないんだ。または、バイトの女の子二人の、クスクスっ、が聞こえてしまった。あーこれってただ周りの目を気にしてるだけだよ。自意識過剰。でも今日は三面鏡でばっちりチェックしてきたんだ。あの子達はを笑ったんだろう。そういや林君は今日休みか。やってんだろう。この机の表面、素材はだろう。テレビってで映るんだ?ヘビって頭いいのかな。どうして遠くのものは小さく見えるんだろう?

ここまでまとまってない文章もないよな。でも、考えがまとまらないでいるときの、その考えのまとまらなさをうまく文章にまとめ上げるほどの才能はどこにもない。私はのために生きているのか。

愛について/スガシカオ
(作詞・作曲:スガシカオ ←漢字だっけ?

私は歌詞を重要視しない。というか、歌詞カードを見ないで聴いている曲が圧倒的に多いし、歌詞が好き、とか歌詞に感動した、なんて思ったことはない。英語知らない頃から洋楽聴いてたし。逆にいつの頃からか、曲はいいんだけど歌詞は気にくわない、と思う曲が出現してきやがった。そんな中、この曲。前から知ってたし、そんなに好きでもなかったのに、ある時突然、歌詞がすごく伝わってきて、心の中で泣いた。一体何が起きたのか、二十歳前後の俺。
[2001年2月]

シカオ氏は、(昔、オーディションか何かで)「君の曲は歌詞が大人すぎて中高生あたりの購買層にはウケないよ」と言われたらしいが、じゃあ私はこの時彼の歌詞が解る程度に大人になったのか、というと別にそういうわけではないと思いたい。
[2002年2月4日]

▼この記事|| 2002/02/04(月)| 音楽| トラ(0) | コメ(0)
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